失敗について書いてみる

この記事は個人ブログと同じ内容です

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こんにちは、株式会社ROXXの agent bankでスクラムマスターをやっている坂本です。先日、この記事を見て衝撃を受けました。

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記事では5/12に発売されたゼルダの伝説の新作を全く上手にプレイできない話の中で、「失敗」って全くの悪ではないよね?「失敗してもいいんよ」ってことを書いてました。

ゲーム全般に言えることかもしれないけど、このゲームでは「失敗を肯定するわけではないけど、失敗が許される場所」で、しかも失敗(キャラの死)によってプレイヤーは学んで上達していきます。そして、失敗することでプレイヤーはやり直しを喰らったり、余計に時間を食ったりとつらいことはあるけど、確実に何かを得てるんですね(たぶん)。

ゲームをプレイする中での失敗をフックに失敗を肯定というか、失敗を全て悪としてしまうこと、失敗に対する恐れや嫌悪を持つ人を救うような印象を受けて、とても「ええやあん」となってました。
個人的に、失敗について、今年に入ってから考えることが何度かあり、自分はこう思うよを整理しようと思ってたところにこの記事を見てしまったので、ちょっともういい加減自分の思っていることを書きます。

※以降文体の乱れがありますが、それは気持ちの高まりですご了承ください

 

 

失敗、こわい

失敗と聞くとどうしてもネガティブなイメージがある。自分も「失敗」という単語を聞くこう思います。「できる事ならば、失敗したくないし、恥をかきたくないし、ゆっくり平和に過ごしたいし、何の変哲もなく、ゆったりと過ごしたい。」って。失敗ってなんかこわいですもん。

とはいえ、失敗がない状態って?

とはいえ、それって本当にそれでいいんか?とも思う。(これは自分に問いかけています)
「失敗しない」=「何にも新しいことがない・刺激がない・楽しくない」なんじゃないだろうか?失敗がないって本当に良いことなのだろうか?

仕事においては「失敗しない」=「挑戦がない・成長がない」みたいな感じで、もしかしたら失敗が全くない状態は、失敗がある状態より良くない状態なのかもしれない。もっと悪いと「失敗と認めていない」状態、つまり本当は失敗なんだけど失敗と認識せず、「これは成功です!」とか、「ギリギリセーフ!」とか言って揉み消したり、非難を避けたり自らを守るために上手くいったことにしちゃうみたいな良くない状態なのかもしれない。

失敗のハードルを下げたい

うちのチームでも、ここ数ヶ月くらいの中で、「失敗を恐れずに挑戦しようぜ!」とか「失敗してもいいからやってみようぜ」とか「〇〇万円までの失敗なら、Mgrが責任持てるから思い切りやっちゃって!」とか言って、失敗のハードルを下げようとしている。それは、成長の機会を得るためであったり、失敗をもみ消すような状態に陥らないようにだったり、チームがのびのびイキイキと働けるのを目指しての働きかけとしてやっていた。

だけど、ここで疑問が…。「失敗って何やってもいいの?」「そもそも失敗ってなんだ?」ここの認識をちゃんと合わせておかないと、「失敗しようぜ!」って、何だかすごく無責任に聞こえるなあと、ダメな状態に目をつぶってるように見えるなあ、大丈夫か?と考えるうちに失敗がよくわからなくなってきた。

失敗って何だろう

しっ‐ぱい【失敗】
[名](スル)物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。「彼を起用したのは失敗だった」「入学試験に失敗する」「失敗作」

失敗(シッパイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク  デジタル大辞泉

 ググった。
やらなきゃいけないことをやらなかったこと。やり方を誤って思った結果を得られなかったこと。つまり、こうなりたいとかこうなるべきみたいな理想系というか、望ましい結果になれなかったことを失敗と言うみたい。

ちなみにChatGPTにも聞いてみた。(長かったので要約してもらった文章)

Q. 失敗って何でしょうね

A. 失敗は望んだ結果を得られないことであり、挑戦や成長の一部です。失敗から学び、改善することが成功への道です。成功者は失敗からの経験を持ち、失敗を恐れずに挑戦し、学びを活かします。

ChatGPT に質問

ポジティブなChatGPTはめっちゃポジティブな答え返してきた。要約してもらう前の文章には「失敗は人々にモチベーションを与え」とかも入ってた。これは頭で理解できたとしても、心がついてこないんじゃないか?なかなか難易度高いぞ?

否定もしてもらった。

Q. 「失敗しても良い」「失敗は必ずしもネガティブな意味を持つわけではない」これを全力で否定してください

A. 失敗は一般的には望ましい結果とは言えません。失敗は時間や労力の無駄になることがあり、経済的な損失や個人的な苦痛を引き起こすこともあります。また、失敗は自信やモチベーションの低下を引き起こし、他の人々への影響を及ぼすこともあります。また、失敗が繰り返される場合、個人や組織の評判や信頼性にも悪影響を与える可能性があります。

さらに、失敗は一般的にはネガティブな結果をもたらすものです。失敗によって目標が達成できなかったり、計画が破綻したり、重要なチャンスを逃したりすることがあります。失敗から学ぶことができる場合もあるかもしれませんが、その学びを活かすことができるかどうかは個人や状況によります。

ChatGPT に質問

「失敗は労力や時間の無駄」「経済的な損失」「個人的な苦痛」「信頼性にも悪影響」「重要なチャンスを逃す」もう、失敗のダメなところ盛り合わせでくるやん。おそらく失敗のここがダメをほぼカバーできてそうな答えをくれた。ありがとうChatGPT。

ただこうやって見ると、失敗によるコストが小さかったり、学びを活かすことのできる状況作れればいいんじゃない?と言う気持ちも湧いてくる。(なぜなら私は今年そんな本を読んだし、そんな話を聞いたから)

失敗して当たり前、失敗していいんやで

前述のブログでも言っていたような「失敗していいんやで」っていうのは、エイミー・C・エドモンドソンの「恐れのない組織」の中でも何度も何度も書かれていた。その中でも特に自分が好きな事例であるピクサーのブレイントラストでは、「どの作品も橋にも棒にもかからない駄作」であると言う認識つまり「失敗して当たり前、失敗していいんやで」の精神で積極的に失敗できる仕組みを作っている。何をしているかというと、何度も何度も映像作品に対しての試聴会・フィードバック会を何度も繰り返してより良くしていくというもの。失敗して当たり前という雰囲気で、失敗しても良いと言う仕組みを作ることさえできれば…

失敗するかもしれないけど、挑戦すること

失敗するかもしれないけど、挑戦するのはなぜか?
失敗することが明確ならば挑戦しない方がいいですね。でも「失敗するかもしれない」これって、やってみないと結果がわからない。やってみないとわからないんだったら、失敗しても痛くない方法で色々と試して見るしかない。「安全に失敗する、それを何度も早いうちから繰り返して探索や実験を繰り返す」そうやって経験を積んで成長していくしかない。「ちいさな「うっ」は成長のチャンス」(スクラムフェス福岡2023 永瀬さん)でこんな感じのことを言ってたなあと思いながら書いています。

挑戦するのは、「できることを増やす」「できないことを知る」ってことなのかもしれない。すでにできることに対して「挑戦だ!」とか言わないですからね。

逆にダメな失敗って?

逆にこれはどうしようもないのかもしれないっていうのもありそう。挑戦を促し、成長や学習をして成功に繋げることができるというのが失敗の良いところなんであれば、失敗によるコストが大きすぎたり学びが全くない場合、つまりコストが圧倒的にメリットを上っていると「ダメな失敗」とかいんでしょうね。
例えば、「何度も同じミスで失敗を繰り返している」とか「手を抜いてたから〜」「あの人に言われた通りにやったから失敗したんだよ!」みたいなパターン。あとは、「この失敗によって◯億円の損失がー」みたいなやつ。

あとは、「失敗したくなかったから何もしなかった」パターン。失敗を恐れて萎縮している状態だ。何も変化がなく、何も学びがなく、本来もっと発揮できるはずの力を無駄にしている感じ。おそらく短期的に見ると、失敗じゃないんだろうけど、長期的に見ると成長できずに本来達成すべき目標を達成できない状態にじわじわとなっていき、気づいたときには…みたいな感じになってしまう。(恐れのない組織で読んだ気がする…うる覚えだ)

まとめ、安心して失敗したい。

ここまで書いてみて思ったのは、やっぱり失敗することは完全に悪と決めつけるのは良くなさそうということ。
ただ、やっぱり安心して失敗できる状態じゃないと、どうしても挑戦することは怖いし、失敗と認めたくない力が働きそうだなあと思った。

安心して挑戦できるためにも、組織の中で失敗に対しての認識を合わせる必要がありそうだし、許容できる失敗のラインや、安全に失敗できる仕組みを作っていくといいんだろうな。

最後に話がすごく飛ぶけど「失敗」でもうひとつ思い浮かぶものに、高2の時に原付通学していて帰り道に自動車と接触事故をした思い出がある。その時は相手も自分も大きな怪我はなく自分の捻挫くらいで済んだ。(壊れた原付は保険により新しい原付に生まれ変わって、捻挫は結構長引いた)
本当に軽い失敗だったが、これにより原付免許2年目に入ってたるんでいた交通安全意識は引き締まり、それ以降今に至るまで安全運転を心がけれていると思う。何が言いたいかというと、失敗による学習凄まじいなっていうのと、死なない程度の失敗ができるんだったらいいじゃん!っていう。

流石に交通事故を奨励するわけではないけど、子供が何回も転んで歩き方を覚えていくみたいに、どんどん転んでガンガン成長していけるといいなあと思う。